フクロウ学園

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中学2年 社会 歴史

武田信玄(たけだしんげん)

 武田氏は源氏の子孫です。
源平の争乱で甲斐源氏を率いて活躍して発展します。
それから甲斐国(山梨)の守護を歴任します。
 武田信玄の父信虎(のぶとら)躑躅ヶ崎(つつじがさき)(現武田神社)を居館にします。
 応仁の乱後、、近隣の諸豪族や今川氏の侵入に悩みながらも、守護大名から戦国大名になります。
 1541年 信玄は父信虎を姉婿の今川義元の元へ追放して自立します。
 1542年 信濃(しなの)(現長野県)南部の戦国大名諏訪頼重(すわよりしげ)を滅ぼし、信濃南部を手中にします。
続いて、信濃中部の戦国大名の小笠原長時(おがさわらながとき)、信濃北部の村上義清(むらかみよしきよ)を越後に追い込みます。
 1553年 信濃全体を支配します。
これによって、越後の戦国大名上杉謙信(うえすぎけんしん)と信濃・越後の境で1563年まで川中島の戦いとよばれる合戦を繰り返します。
その間に今川義元と同盟します。
 1554年 相模(さがみ)(現神奈川県)の戦国大名である北条氏康(ほうじょううじやす)と講和して甲駿遠三国同盟を成立させ、上杉謙信との戦いに備えました。
上杉謙信は関東に南下して侵略を開始します。
 1567年 信玄は謙信に対抗して上野(こうづけ)(現群馬県)に進出したことで北条氏と対立し三国同盟は解体します。
かわりに徳川家康と結んで、1560年の桶狭間の戦いで敗退し勢いがなくなった今川氏を滅ぼして、駿河を手中にして東海を支配し改めて北条氏と同盟を組み直します。
 1572年 三方原の戦いで徳川家康を浜松城に敗走させるも、病状が悪化し撤退。撤退中の伊那(長野県)の駒場にて没しました。