フクロウ学園

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中学2年 社会 歴史

1876年 日朝修好条規(にっちょうしゅうこうじょうき)

 日朝修好条規は、日本が朝鮮に軍事的に脅して、強制して結んだ不平等条約です。

 1875年 日本軍艦が朝鮮の江華島で挑発行為を行って日朝が交戦し、日本は永宗島(えいしゅうとう)(朝鮮名:ヨンジョンド)を占領しました。
 1876年2月 日朝修好条規は黒田清隆・井上薫が日本代表となり調印され、即日施行されました。
この条約は、12款からなり、清と朝鮮の宗主国(そうしゅこく)(一国が他国の内政・外交を管理する権利を持つ国)と従属国(管理される側の国)の関係を否認するため、「朝鮮ハ自主ノ邦」であることを明文化し、使節の往来や滞在を認め、釜山(ぷさん)ほか2港の開港、一方的に領事裁判権などを規定しました。
 同年8月24日 「日朝修好条規附録」・「修好条規附録ニ附属スル往復文書」・「朝鮮国議定諸港ニ於ル日本国人民貿易規則」も調印され、本条規第10款に領事裁判権・附録第7款に日本諸貨幣流通権・往復文書に無関税貿易を認めさせた不平等な条約でした。