フクロウ学園

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中学2年 社会 歴史

1862年 生麦事件

 生麦事件は、薩摩藩主の父島津久光の行列に対してイギリス人一行が無礼を働いたとして、殺害した事件です。

 薩摩藩主の父島津久光は、勅使とともに江戸へ向かい、幕政改革を求めました。
この幕政改革のことを、文久の改革といいます。
 1862年8月 幕政改革を行わせた島津久光が帰る途中、神奈川近くの生麦村で、騎馬のイギリス人一行と出会い、無礼を働いたとして1名を薩摩藩士が殺害し、2名に重傷を負わせました。
イギリスは幕府と薩摩藩に、犯人の処罰と損害賠償を求めました。
幕府は、イギリスに10万ポンドを支払いましたが、薩摩藩をこれを拒みました。
 1863年 薩摩とイギリスは戦争になり、双方和議となりましたが、薩摩藩は生麦事件を謝罪し、損害賠償を支払いましたが、犯人処罰は約束するも実行しませんでした。