トップページ|歴史目次 中学2年 社会 歴史 1861年 和宮降嫁(かずのみやこうか) 孝明天皇の妹の和宮は、公武合体(こうぶがったい)のために将軍徳川家茂(とくがわいえもち)の夫人となりました。 1860年の桜田門外の変の後、老中安藤信正(あんどうのぶまさ)は公武合体することで、事態を収めようとしました。 公武合体の計画は、孝明天皇の妹の和宮を将軍徳川家茂夫人とすることでした。 1861年 和宮は、有栖川宮(ありすがわのみや)との婚約を破棄して、江戸へ下ります。 1862年 和宮は、徳川家茂夫人となります。 このことは、尊王攘夷派を刺激し、坂下門外の変(さかしたもんがいのへん)の原因となりました。
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