中学2年 社会 歴史
1615年 武家諸法度・禁中並公家諸法度の制定
徳川家康が、徳川秀忠の名で、大名や武家に対しての法令として武家諸法度を、天皇や公家に対しての法令として禁中並公家諸法度を出しました。
豊臣氏滅亡の直後に、徳川家康は諸大名を伏見城に集めて武家諸法度を出します。
武家諸法度は、大名の心得や大名が許可なく城を建てたり修理すること、徒党を組むこと、大名同士が無断で結婚関係を結ぶことを禁止しました。
禁中並公家諸法度は天皇や公家の行動を監視し、京都所司代(朝廷と西国大名の監視をする役職)を置いて、朝廷に政治上の力を持たせないようにしました。
法度違反者はとても厳しい罰を与えられ、効果があがりました
3代将軍徳川家光の時に参勤交代の制が出されました。
武家諸法度や禁中並公家諸法度は、建武式目や分国法を参考に作られました。