フクロウ学園

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中学2年 社会 歴史

1600年 関ヶ原の戦い(せきがはらのたたかい)

 関ケ原の戦いは、徳川家康(とくがわいえやす)石田三成(いしだみつなり)が、豊臣秀吉の死後の政権をかけた戦いです。

 豊臣秀吉の死後、6歳の豊臣秀頼(とよとみひでより)が後を継ぎます。
豊臣家は朝鮮侵略の失敗と豊臣秀次の自刃から、後継者問題が浮き彫りになって勢力が衰えます。
  豊臣秀頼の周辺では、豊臣秀吉が死の直前に決めた五大老のうち、武断派の徳川家康と吏僚派の石田三成が対立します。
徳川家康が分断政策をとり、ついに石田三成・小西行長らを関ケ原に誘い出し、家康側を東軍、三成側を西軍として対陣します。
  午前8時から8時間におよぶ激戦の中、西軍の小早川秀秋が東軍に寝返り、徳川家康ら東軍が勝ちました。
西軍諸大名には厳しい処分が行われました。
この戦いを関ヶ原の戦いといいます。