フクロウ学園

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中学2年 社会 歴史

1575年 長篠(ながしの)の戦い

 長篠の戦いは、織田信長徳川家康の連合軍が鉄砲隊を組織して、武田勝頼(たけだかつより)の騎馬隊を破った合戦です。

 1571年  武田信玄は生きているときに徳川家康の長篠城(愛知県設楽郡)を降伏させました。
 1573年  上洛中の武田信玄の死を受けて、徳川家康は長篠城を奪い返します。
1575年 武田信玄の4男武田勝頼が父の遺志を継いで、長篠城を包囲します。
急を聞いて、徳川家康は織田信長に救援を要請します。
 織田信長・徳川家康自身が出陣して、前方に柵を置いて内側に足軽の三千挺の鉄砲隊を配置しました。
対して、勝頼は武田軍得意の騎馬隊を繰り出して攻撃しますが、鉄砲の射撃を受けて大敗します。この戦いを長篠の戦いといいます。
長篠は上洛するうえで、信濃(しなの)(長野)に入る重要地点でした。
戦の仕方が騎馬隊の合戦から足軽の鉄砲隊主体の合戦へ変わった一戦でした。