フクロウ学園

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中学1年 社会 歴史

メソポタミア文明(紀元前3500年頃)

 

 今のアラビアとイランの間にあるチグリス川ユーフラテス川に挟まれたメソポタミア地域(現イラク)では、シュメール人がウル・ウルクなどの都市国家を作りました。
この文明をメソポタミア文明といいます。

シュメール人の都市国家では、王を中心に神官や軍人らが人々を支配する階級社会ができました。

メソポタミアは農耕に適した土地のため、高度な神殿を中心とした大きな集落ができ、都市文明が発展しました。

川の氾濫を予測するために、天文学や数学が発達しました。

月の満ち欠けをもとにした太陰暦(たいいんれき)が作られました。

7曜制や時間や角度を測るときに便利な60進法が発明されました。

記録には粘土板が用いられ、銅や青銅器(せいどうき)(銅とすずを溶かして混ぜ合わせた金属)もでき、くさび形文字が使われました。

 紀元前24世紀頃には、アッカド人に滅ぼされました。

 紀元前18世紀頃には、バビロニアがこの地方を統一しました。

↑の画像は、そのバビロニアの6代目の王ハンムラビが定めた最古の成文法(せいぶんほう)(文章で表した法律)といわれているハンムラビ法典(フランス ルーブル美術館 蔵)です。

1902年にフランスの調査隊により現在のイラン南西部の古都スーサで、高さ225cm、直径61cmの黒色脊柱を発見しました。

最頂部に神がハンムラビ王に杖と腕輪を授ける場面が掘ってあります。

その下に282条の条文が記されていて、「目には目を」「歯には歯を」という有名な法令があります。

「目には目を」というのは「もし人が自由人の目をつぶしたときは、かれの目をつぶす」という意味です。

この法令は復讐を認めているように聞こえますが、復讐が報復合戦にまで拡大しないように一定の限度を定めたものと考えられています。