フクロウ学園

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中学1年 社会 歴史

縄文時代(じょうもんじだい)

 明治時代にアメリカ人動物学者のモースが来日し、東京で大森貝塚(おおもりかいづか)を発見しました。
 貝塚(かいづか)は当時のゴミ捨て場です。
このゴミ捨て場で発見されたものから、今から1万年前の人々は集団生活をし、木の実やけものや鳥、魚や貝などの採集をしていたと考えられます。
貝塚は各地で発見されています。
 大森貝塚では縄目の文様(もんよう)もよう:cord marked)の土器(どき)などが発見されました。
この土器のことを縄文土器(じょうもんどき)といい、この土器を使っていた時代を縄文時代(じょうもんじだい)といいます。
 土器が発明されたことで、食物を生で食べていたときよりも安全に安定して手に入れることができるようになりました。
そのため、人々は食物を求めて移動を繰り返す生活から、集団で一定の土地に落ち着いて暮らすようになりました。
この時代の土器は粘土(ねんど)と砂を混ぜた土を紐(ひも)のように伸ばして、一段ずつ積み上げて器の形をつくり表面に文様をつけて焼き上げてつくります。
そのころの土器の表面には縄目(なわめ)の文様が多いので縄文土器(じょうもんどき)といい、この時代を縄文時代、文化のことを縄文文化(じょうもんぶんか)といいます。
 ※縄文時代という時代分けは日本独自の言い方です。 石器による時代分けでは新石器時代にあたります。
縄文土器の詳しい作り方については財団法人 石川県埋蔵文化財センターを参考にしてください。
↓縄文土器はすべてに縄目の文様があるわけではなく、縄目の文様もないものも多く発見されています。


 道具は、石を打ち欠いただけの打製石器(たせいせっき)だけでなく、打製石器を磨いて鋭い刃のようにした磨製石器(ませいせっき)、骨を釣針にした骨角器(こっかくき)なども発見されています。
 土偶(どぐう)という魔除けや食物の豊かさを祈るのに使われたものも発見されています。
 住まいは土間を掘って、柱をたてて干草などを上からかぶせた竪穴式住居(たてあなしきじゅうきょ)に分かれて住むようになりました。
↓竪穴式住居は地面を約50〜60cmほど掘り、半地下にして住居の中で立ってうごけるようにし、寝たときの保温が確保できるようにされています。

 1992年に青森市で発掘された三内丸山遺跡(さんないまるやまいせき)は、今から約5500年前〜1500年以上続いた縄文時代の遺跡です。
この遺跡では、直径1mもある太い柱の穴が6つ発見され、穴から推測した建物を復元すると、高さ約15mになることがわかりました。
また、大型の住居跡も発見されており、栗の栽培や新潟産のヒスイも発見され、それまでの縄文時代の生活の常識をくつがえしました。