フクロウ学園
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中学1年 社会 歴史
東山文化
足利義政の時代になると、簡素で気品のある文化が成長します。
この時代の文化を東山文化といいます。
【服装】
- 服装は烏帽子や狩衣、直衣といった形の定まった貴族の衣服から、もともとは下着であった小袖を、一般的な服として着るようになりました。
- 男性は烏帽子をつけなくなり、女性の小袖には模様が入るようになり、今日の和服の原型となりました。
- 多くの人々が簡素な服装を好むようになりましたが、それには綿の栽培が広まり、朝鮮からの輸入に頼っていた綿製品が広く用いられるようになったからでした。
【食生活】
- 禅宗の精進料理の影響で、食生活も大きく変化しました。
- 茶を飲む習慣は鎌倉時代に栄西が中国から持ち込んで広まりました。
- 室町時代になると中国から伝わった喫茶(お茶を飲む)の習慣は、町で茶を売る一服一銭売りという商売も行われるようになるほどに日常的に親しまれるようになりました。
- 一碗のお茶を楽しむ間に、茶室や庭などを鑑賞したり、茶道具を選んだり、お客様をもてなすための趣向や工夫を凝らす楽しみとしてお茶を飲むようになりました。
- このような文化を茶の湯といいます。
- とうふ、こんにゃく、みそなどの食品も広く食べられるようになりました。
- 京都の和菓子は、応仁の乱のあとに生まれたものが、今に続いています。
【建物】
- 住まいでは、部屋にたたみをしきつめ、床の間を設ける書院造の住宅が広まりました。
- 書院造は寺院の様式を武家の住居に取り入れた設計で、床の間に書画や生け花が飾られるようになりました。
- 代表的なものとしては、足利義政が京都東山に建てた「銀閣寺」と「東求堂同仁斎」です。
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- 上の画像は銀閣寺の観音堂と呼ばれています。
- 観音堂は、一階部分が書院造、二階部分が禅宗仏殿風(唐様)からなる2層の建物です。
- 庶民の間でも簡素なつくりの家が一般的になりました。
- 商人の店では、道に面した台に商品を並べたり、のれんをかけて店の印としたりすることが行われるようになりました。
- お盆やお正月などの年中行事を民間でも行うようになり、羽根つきや、こま回しなどの子供の遊びも多くみられるようになりました。
【庭園】
- 茶の湯の流行とともに石や立ち木をたくみに配置した庭園がつくられました。
- 有名なものは京都 龍安寺の石庭です。
【水墨画】
- 絵画では墨一色で自然を描く水墨画が流行しました。
- 中国大陸に渡って水墨画の技術を学んだ雪舟が日本各地を巡って、芸術性の高い作品を描きました。
- 雪舟の代表作としては、「秋冬山水図」があげられます。
【狂言】
- 朝廷・幕府の力が弱まり、一揆などで徳政令を勝ち取るなど民衆の力が強くなったため、民衆が楽しむ文化が生まれました。
- 娯楽性の強い能が各地の祭りでさかんに演じられるようになり、能の合間に、民衆の生活や感情をあらわした狂言が演じられました。
- 狂言はせりふを中心とした庶民向けの喜劇です。
- 能や庭園など建築に優れた才能や技術を発揮したのは、身分的に差別され、卑しめられていた河原者と呼ばれていた人々でした。
【教育】
- 地方武士や有力者は子供に寺で教育を受けさせるようになりました。寺に預けて教育を受けさせることを寺子屋といいます。
- お伽草子と呼ばれる童話が読まれました。
- また、集団をつくって和歌の上の句と下の句を順々に別の人が読む連歌も楽しまれました。
- 当時の新潟・栃木あたりを治めていた上杉氏が保護した足利学校(栃木県)には儒学を学ぶ人々が集まりました。