フクロウ学園

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中学1年 社会 歴史

663年 白村江(はくすきのえ)の戦い

 660年、百済は新羅と唐の連合軍によって滅びました。
しかし、百済の豪族たちは兵を集めて抵抗し、日本に救援を求めました。
日本は百済の援助の申し出を受けて、九州の筑紫(つくし)を本拠にして水軍を送りました。
しかし、今の大韓民国南西部の錦江の近くの白村江で唐・新羅の連合軍に敗れました。
この戦いを白村江の戦いといいます。
 大宰府では水城や朝鮮式山城などが築かれ、国防政策がすすめられました。
 この後中大兄皇子は5年後の668年天智天皇(てんじてんのう)として即位し、西日本の守りを固めます。
また、国内体制の整備のため戸籍を作るなど改新の政治を進めます。
 唐は9世紀ごろまで中国を統一し続けます。
唐は律令(りつりょう:律は刑罰、令は行政の規則)をつくり、戸籍を登録して土地を人々に分け、税や兵役を負担させる支配の仕組みをつくり、国力を高めました。