中学1年 社会 歴史
478年 倭王武が中国の南朝に手紙を送る
大和政権は九州から東北地本南部の豪族まで従えるようになり、大和政権の支配者は大王と呼ばれるようになりました。
5世紀、大王の「讃・珍・済・興・武(雄略天皇)」の「倭の五王」は、相次いで中国南朝の宋に朝貢しました。
倭の王としての地位と朝鮮南部の軍事を指揮する権利を中国に認めさせようと度々使いをおくりました。
倭王武は、478年には宋に上表文を送り「安東大将軍倭王」と認められます。
当時、朝鮮半島から日本列島に一族まとまって移り住む人々が増えました。
その人々を渡来人といいます。
この渡来人によって、鉄製の農具、灌漑(農地に水をひく技術)用のため池を作る技術、固い質の土器である須恵器、絹織物をつくる技術、漢字、儒学(中国の孔子が唱えた哲学)などが伝えられました。