フクロウ学園

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中学1年 社会 歴史

391年 倭が高句麗を攻める

 朝鮮では4世紀半ばから高句麗(こうくり)百済(くだら)新羅(しらぎ)の三国が勢力を争っていました。
4世紀後半、高句麗が朝鮮半島南部に進軍すると、大和政権は朝鮮半島南部の鉄資源を確保するために、海を渡り高句麗と争うようになりました。
 大和政権は百済や朝鮮南部で小国が分立していた加羅(から)や地方の国々と結んで、好太王の支配下の百済や新羅、高句麗と戦いました。
 高句麗の好太王(こうたいおう)広開土王(こうかいどおう))の石碑には、好太王がしばしば倭の軍を破ったことがしるされています。
このことから、4世紀末には大和政権が海外へ攻め込むことができるくらいに、国内統一が進んでいたことが考えられます。
  ※史書や碑文などに記されている「倭」が日本列島内の国を指すとは限りません。
 朝鮮半島南部の倭を意味する場合もあるので、倭=大和政権とするのは時と場合によるので注意が必要です。