フクロウ学園

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中学1年 社会 歴史

239年 卑弥呼(ひみこ)()の皇帝より「親魏倭王(しんぎわおう)」の称号と金印を授かる

 3世紀になると、中国では後漢が滅びて、()()(しょく)の三国に分かれて争っていました。
その中の魏の歴史書である「魏志」倭人伝(ぎしわじんでん)邪馬台国(やまたいこく)について書かれています。
「魏志」倭人伝とは通称の呼び方です。
正式には「三国志」のなかの魏書(ぎしょ)の「烏丸鮮卑東夷伝(うがんせんぴとういでん)倭人条(わじんじょう)といいます。
 その内容は、邪馬台国が30余りの小さな国を従えていて、元は男の王が国を治めていたが、戦乱が続いたので、人々が相談して卑弥呼(ひみこ)という女性を王にした。
卑弥呼は神と話すことができる呪術的な力を持っていて人々をひきつけました。
実際の政治は弟とともに行いました。
王になってからの卑弥呼を見たものは少なく、宮殿の中で召使にかこまれて生活していました。
239年には、魏の都に大夫難升米(だいぶなしめ)という使いを送って、魏の明帝から親魏倭王(しんぎわおう)の称号と金印を授けられ、さらに銅鏡100枚などたくさんの贈り物を受けました。

卑弥呼が死ぬと大きな墓が作られて、100人余りの奴隷も墓に入りました。
その後、男の王が立ちましたが、また戦乱になり、13歳の少女壱与(いよ)を王として国は治まりました。
 邪馬台国の位置については、九州北部にあったとする説と大和地方(奈良)にあったとする説に分かれています。
「親魏倭王」の金印は出土されていませんので、もし、金印が出土されれば、その場所が邪馬台国の位置を示す有力な証拠になります。
 日本の統一が大和説では3世紀、九州説では4世紀頃になります。