フクロウ学園

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中学1年 社会 歴史

1428年 正長の徳政一揆(しょうちょうのとくせいいっき)

 1428年 飢饉(ききん)疫病(えきびょう)が起き、あまりの生活苦に困った馬借(ばしゃく)(運送)土民(どみん)(土着の民)が反乱を起こします。
馬借は、運転資金などを京都の富豪に借りることが多かったため、徳政令(とくせいれい)(借金破棄)を求める心が強まりました。
 8月 近江(今の滋賀県)馬借(ばしゃく)土民(どみん)が立ち上がって、酒屋(さかや)(酒造と金貸を兼業)土倉(どそう)(質屋と金貸を兼業)・寺院を襲い、守護の命令による近江一国の徳政令(とくせいれい)(借金破棄)を勝ち取りました。
 9月 京都へこの徳政一揆は伝わって、酒屋・土倉・寺院に乱入して借用書を実力で破棄しました。
守護からの命令以外の借金破棄をすることを私徳政(しとくせい)といいます。
この京都の一揆は幕府に鎮圧されて徳政を禁じられました。
しかし、一揆はたちまち奈良や近隣諸国にまで広まり、各地で徳政令を勝ち取ります。
この最初の大規模な徳政一揆のことを、正長の徳政一揆といいます。
 1429年 世情不安と徳政一揆から権威を取り戻すため、6代将軍足利義教は恐怖政治をします。