フクロウ学園

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中学1年 社会 歴史

1368年 【中国】 (みん)(げん)を追い出し建国(けんこく)

 日本の鎌倉時代にユーラシア大陸の大半を治めたモンゴル帝国のフビライ・ハンは中国の大半を手に入れ、という国を建てました。
しかし、もともと遊牧民族のモンゴル人は強力な武力で押さえ込むだけで、農業の重要性を考えず、農民から田畑を奪い重税を課したので、各地で反乱を招きます。
さらに、フビライ=ハンの死後、皇位継承問題で激しい権力争いが起こりました。
経済面では、チベット教(ラマ教)の狂信や寺院の建立などによって、莫大な国費を浪費して財政は窮乏しました。
元の朝廷は、交鈔(こうしょう)という貨幣を発行して財政難に備えましたが、乱発したためインフレ(物価高)になって民衆の生活を苦しめました。
権力争いや浪費による政治の腐敗とインフレ、さらに天災、飢饉が加わって農民の暴動が激しくなりました。
 1351年 弥勒信仰を基にして集まった白蓮教徒(びゃくれんきょうと)が集まって紅巾の乱(こうきんのらん)を起こします。
この乱は最初の首謀者の韓山道が殺害されました。
しかし、その子韓林児(かんりんじ)が引き継いで蜂起を続け、元の打倒を叫ぶと各地から群雄が集まりました。
 1368年 元は中国の穀倉地帯である江南地方を奪われたため、江南にを建国した朱元璋(しゅげんしょう)(別名 洪武帝(こうぶてい)が北伐軍を派遣するとモンゴル高原に退きました。
90年間続いたモンゴル帝国の元朝廷は滅亡し、が中国を統治するようになりました。