フクロウ学園

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中学1年 社会 歴史

1334年 建武の新政(けんむのしんせい)

 後醍醐天皇は宋学の名分論を学んで、幕府打倒を志しました。
天皇の倒幕計画は失敗しましたが、幕府に不満の武士の力を借りてついに、1333年に鎌倉幕府を倒しました。
京都へ戻った後醍醐天皇は、光厳天皇を廃して徹底した天皇中心の政治を始めました。 これを建武の新政といいます。
建武の新政は知行(ちぎょう)(直接支配できる領地の事)領地の保障を天皇の綸旨(りんじ)(天皇の意を受けて発給する命令文書)を出すことで行うことにしました。
このことで天皇が領地を支配することになり、鎌倉幕府の御恩と奉公のしくみはなくなりました。
しかし、鎌倉幕府時代の慣習がかわり、戦ったにもかかわらず所領がもらえなくなったため、綸旨を出してもらい所領を得るため、武士が京都に多く集まって政治が混乱します。
後醍醐天皇は対策として雑訴決断所(ざっそけつだんしょ)(裁判所)を設置したり、貨幣を発行したり徳政令を再度だしたりしましたが、戦乱後の疲弊した国に対する政策としてはさらに混乱を招くものでした。
さらに、公家を重んじた温床などで武士たちの不満は高まりました。