フクロウ学園
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中学1年 社会 歴史
1274年 文永の役
中国大陸で北方民族である蒙古(モンゴル民族)が、層を揚子江の南へ追って、元という強大な国家をつくりました。
高麗(朝鮮)に勢力を伸ばした元の王であるフビライ・ハンは、日本の従わせるため度々使者をおくってきましたが、当時の執権である北条時宗は断わりました。
1274年 フビライ・ハンは高麗(こうらい)の軍勢と合わせて対馬(つしま)・壱岐(いき)を経て、北九州の博多湾に上陸し集団戦法と優れた火器を使って日本に攻め入りました。
元軍は鎌倉幕府の武士と台風によって大損害を受けて退きました。
高麗の人々の元に対する抵抗も力になっていました。
鎌倉幕府は再度の襲来に備えて、海岸に石塁(石のとりで)を築きます。
この襲来のことを、文永の役といいます。
中国北部を支配下に置いたフビライ・ハンは、当時、中国南部を支配していた南宋を攻めます。
1276年 南宋の首都臨安を占領します。南宋の皇帝は一族と南方に逃げて抗戦します。
1279年 中国南部の広東沖の崖山の戦いで破れ南宋は滅び、フビライ・ハンは中国全土を元の支配とします。
ここにいたって、モンゴル帝国はユーラシア大陸をほとんど支配します。