フクロウ学園

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中学1年 社会 歴史

1185年 壇ノ浦(だんのうら)の戦い

 1185年 源頼朝(みなもとよりとも)が鎌倉を本拠地として東国の武士を集めて関東を支配下に入れ、弟の源義経(みなもとよしつね)源範頼(みなもとのりより)を派遣して平氏を壇ノ浦(今の下関市)に追い詰めて、平氏がかついでいた幼帝安徳天皇の入水とともに滅びました。
この戦いを壇ノ浦の戦いといいます。
この戦いによって、平氏から源氏へ政治の実権が移りました。
 政治の実権を握った源頼朝は弟の義経が平氏の平時忠(たいらのときただ)の娘との結婚する等の知らせを受けて、鎌倉入りを拒みます。
困った義経は叔父の源行家と頼朝に対抗しましたが兵が集まらず、奥州藤原氏に保護を頼みます。
このとき頼朝は壇ノ浦の戦い等を起こしたとして、後白河法皇(ごしらかわほうおう)の政治責任を追求し、義経を追うことを理由に国ごとに管理する者として守護(しゅご)、荘園や公領ごとに管理する者として地頭(じとう)を置くことを認めさせ支配力を高めます。
 1189年 奥州藤原氏に身を寄せた義経でしたが、藤原氏の協力を得られず藤原泰衡(ふじわらのやすひら)に攻められ妻子もろともに自刃しました。
 同年 頼朝は藤原泰衡を征伐することを中止する朝廷の命令を無視して攻撃し、奥州は頼朝の支配下としました。