中学1年 社会 歴史
1016年 藤原道長が摂政になる
地方では社会が不安定になり乱が増えてきましたが、中央の権力は藤原氏が独占します。
藤原道長は4人の娘を皇后や皇太子妃として、30人にわたって朝廷で大きな権威をふるいました。
このように藤原道長は3人の娘を外戚関係にすることに成功し最盛期をむかえます。
1016年に一条天皇が後一条天皇に位をゆずると、藤原道長は摂政になりました。
1017年に藤原道長は子の藤原頼通に摂政を譲ります。
1019年には藤原頼通は関白にもなり、以後50年もの間、摂政・関白であり続けました。
小右記(しょうゆうき)という藤原実資(ふじわらのさねすけ)の日記には、道長が詠んだ歌として、
「この世をば、わが世とぞ思う、望月の、欠けたることも、なしと思えば」
(栄華を極めてこの世はわたしの世である まさに満月にかけた所がないように)
このような歌を残しているほど藤原氏は栄華を極めました。